ものろぐ「J-ART」 美術と人間/美術と社会

「日本美術史」を大学や街の講座で語りつつ、多少は自分の仕事の痕跡を残そうとして建てた「物置」のようなもの。

2001年 宮城県内日本画のうごき

                            井上 研一郎

 芸術は戦争の前に無力か 

 二〇〇一年という年は、二十一世紀最初の年としてよりも、同時多発テロの起こった年としておそらく世界史に残るだろう。テロの直後、ブッシュ大統領は「これは戦争だ」と叫び、報復攻撃が始まった。議会はただ一人の議員をのぞいてこれを支持した。だが、アメリカ人のすべてがそうだったわけではない。目立ったのは著名な芸術家たちが報復に「NO!」を唱えたことだった。

 仙台文学館長の井上ひさしも「『ならず者国家』を指定しているアメリカ自身が『ならず者』であることを知った方がいい」と東京で語ったが、宮城の芸術家に目立った動きはなかった。タリバンによって破壊されたバーミヤーンの大仏のように、芸術や文化は戦争という非文化的、反文化的な行為の前に無言で立ちつくすしかないのだろうか。

 タリバンは、バーミヤンの巨大石仏を完全に破壊するという行為によってその名を知られていた。日本文化の遠い淵源を思わせる彼の地を揺るがした轟音は、多くの日本人の心のどこかに痛みを伴って響いたことだろう。

 しかし、バーミヤンの大仏は束の間の平和も守れぬ愚かな人間を嘆いて自ら崩れ落ちたのだという人もいる。仏像は人の世に平和をもたらすことはできないのか。夏目漱石が『草枕』の冒頭で言い切ったように、芸術は「人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにする」ことはできないのだろうか。

 年が明けてから知ったことだが、美智子皇后は、この大仏破壊に寄せて次のような歌を詠まれていたという。

 

 知らずしてわれも撃ちしや春闌(た)くる バーミアンの野にみ仏在(ま)さず 

 

 宮内庁ホームページの解説には、「人間の中にひそむ憎しみや不寛容の表れとして仏像が破壊されたとすれば、しらずしらず自分もまた一つの弾(たま)を撃っていたのではないだろうか」とある。同時テロが起こる半年も前にこの歌は詠まれていた。そのころ、私は何を考えていただろうか。

 

畑井美枝子の受賞

 この一年間の宮城の日本画界の動きでは、まず畑井美枝子の河北文化賞受賞を取り上げたい。「七十年にわたる画業で地方画壇に確固たる地歩を築き、中央画壇にも進出、後進の指導・育成に尽力し、東北の芸術文化振興に大きく寄与した」という授賞理由は、何人も異論のないところであろう。筆者は畑井の作品を初見して、極めて自然な人物表現のなかに対象の気分や感情をしっかりと描き込んでいるという印象を持った。「技術的に上手な絵より、人の心を打つような良い絵を描いてほしい」と語る畑井の思いを、若手の作家たちはしっかりと受け止めてほしいと思う。

 

各種の展覧会

 「第六五回河北美術展」では次の七名が入賞した。

 河 北 賞  毛利洋子《萌し》

 文科大臣奨励賞 阿部悦子《一輪》

 宮城県知事賞  鈴木和彦《裸婦》

 一力次郎賞   澤瀬きよ子《蓮》

 東北放送賞   高橋栄子《花桜の交響曲》

 宮城県芸協賞  梅森さえ子《生命缶》

 東北電力賞   奥山和子《黒い服の女》

 毛利洋子の作品は、蔵王山麓で取材したという倒木の絡まるような枝を画面いっぱいに配し、その前で木の実を食べるリスを描く。薄暗いバックに浮かぶ枝のうねるような形が画面に動きを与え、無心に木の実を食べるリスの姿がタイトルに込められた作者の感動を物語る。阿部悦子の《一輪》は、物思いに耽る若い男の姿にコラージュやたらしこみ的技法を大胆な構成でつなぎ合わせ、やや謎めいたタイトルとともに見る者を引きつける。高橋栄子は老樹に咲き乱れる枝垂桜を全面に描き、そこに微かな風の動きを加えて繊細かつ華麗な空間を創り出した。梅森さえ子の《生命缶》は、牛乳缶から牛乳が星くずのようにほとばしり出るさまを日本画には珍しい鮮やかな原色の画面に描いた意欲作である。奥山和子は、白いベッドにうつ伏せになってほおづえをつく女性を、大胆にも頭の方から眺めて縦長構図におさめた。常識にとらわれない発想の妙がある。色数を押さえたことも成功した。油彩で入賞した経験を持つ鈴木和彦の《裸婦》は、人体の強烈な色調とたらしこみの多用によって単純な画面に変化をつけ、また生命感のある強さを生み出している。澤瀬きよ子の《蓮》は伝統的画題だが、迫町長沼で実際に見た光景に感動して描いたもの。手堅い手法でまとめている。成田昭夫《岩館港の廃船Ⅱ》は、力強い構成と質感の見事さが光る。滅びゆくものに注がれるまなざしが優しい。

 伝統的手法がほとんど見あたらない中で水墨による杉山陽介の《住処》は貴重な存在だが、ネコの毛並みの向きなど対象をもっとよく見つめたい。

「河北美術展に出品する人は、技術的にはかなりいい線いっています。あとは、自分の気持ち、例えば心の痛みや喜びがもっと絵に出てくるといいですね。」という佐藤圀夫の言葉も、畑井美枝子と共通するものがあろう。

 

「第三十三回宮城県芸術祭絵画展」では、宮城県芸術祭賞を受賞した天笠慶子の《リズム》が三美神を思わせる人物を大画面にもかかわらず破綻のない構図でまとめ、文字どおりリズミカルな動きを見せていた。宮城県美術館賞の小野寺君代《星の華》は一面に咲くジャガイモの花を真上から描く。テントウムシへのまなざしが見る者にも伝わってくる。櫻田勝子《御室の桜》は花の装飾的な平面と画面全体の奥行き感が面白い対象を見せた。七宮牧子《かたち》には線描を排した色面のおもしろさがあり、安住小百合《花片》の明快な色調、大泉佐代子《ミセスK(母となって故郷へ)》の重厚なマチエールと深い精神性が印象に残った。気になったのは、暗褐色の似通った色調がいくつかの作品に見られたことで、単なる偶然か、時代の反映か、しばらく注目してみたい。

 畑井美枝子の主宰する「第十五回実生会」も充実した内容であった。小野恬の《献花》は黒、茶、灰色、黄色にピンクという配色と左に寄せた構図の妙が新鮮な感覚を見せた。新緑と山桜の対比が美しい岩佐安子の《萌芽》、未消化ながら大胆な構成の梅森さえ子《夏空の下》、箔の用法に新味を見せた後藤とし子の《放心》のほか、佐藤松子、田名部典子、二戸美有、星けさよ、佐藤朱希等の作品が目を引いた。佐藤朱希は第三十三回日展でも《陽色のワルツ》で入選を果たしている。

 ジャンルを超えた新しい表現がますます盛んになっている昨今、日本画だけが孤塁を守ることは不可能だろう。ボーダーレス、グローバル化などという言葉は今や子供でも知っているが、それは決して世界中の食事がすべてハンバーガーになることではない。それぞれの味を守りつつ、他流試合もやる。その意味で第四回を迎えたという「青藍会展」の意欲は評価されてよいと思ったが、残念ながら実見の機会を逃した。

 

「東北」で「日本画」を描くということ

 二〇〇一年という年に、東北の地で絵を描くということはどういうことなのだろうか。身の回りの日常を描く、東北の自然を描く―それはそれで大切な視点だ。だが、インターネットでも衛星放送でも瞬時に地球の裏側の情報が手に入るこの時代に、それだけでいいとは言い切れまい。平和な国で絵を描くことのできる境遇と、空爆にさらされながら逃げまどう人々がいるという事実とのあまりに遠い距離、矛盾。そのこと自体が創作のモチーフ(動機)となることがあっていいのではないだろうか。少なくとも洋画部門には見られるそうした作品が、日本画には全く見られないのはどうしたことだろうか。

 さらに、たとえば「河北展」洋画部門受賞者の大崎智尋の「油絵の具の発色が好きだが、表現方法は日本画が(自分に)合っている」などという発言を聞くと、批評する側もまたいつまでも境界を固定したままでいいのかと考えさせられる。いずれにせよ、この年鑑の評者がそろって取り上げたくなるような企画や作品が生まれてほしいものだ。

 

美術館の企画展

 美術館、博物館で開催された展覧会のうち、日本画・古美術関係で印象に残ったものをあげておきたい。

「生誕百年記念・小松均展」(宮城県美術館)

 京都大原に自給自足の暮らしを営み「仙人」と呼ばれた日本画家、小松均の本格的な回顧展。故郷の最上川を源流から河口まで描ききろうとした情熱が力強い筆致によってこまやかな生活感あふれる光景を生み出していた。六十歳を過ぎて故郷山形を流れる最上川を描き始めた小松は、源流から河口まで、描き上げるまでその場を離れずひたむきに川の姿を写したという。見る者は川の造り出す壮大なドラマをまるで画家の肩越しに眺めているような錯覚に陥るだろう。画面を横にも縦にも連続させていく自由な発想は、大河の一生を描いた《生々流転》の横山大観をしのぐといっても過言ではない。最上川という素材と小松という才能が幸せな再会を果たすために六十年という他所での歳月が必要だったとしても、今日の東北で描き続ける画家たちに必要なことは、その生活の場を離れることではない。日々の生活の場を離れて描き続けることのできる画家などいない。反対に、現実と真摯に向き合ってこそ自分の才能をぶつける対象=素材と出逢うことができるのだ。その点で、東北の画家たちは素材に恵まれすぎているのではないかと私は思う。足りないのはそれを見出す機会と手段ではないか。

 共生福祉会福島美術館の企画展「空間の美―仙台藩ゆかりの対幅」は、伊達家旧蔵の対幅作品を中心に、先人たちが遺した画題と構図の工夫を探ろうとする展観だった。こうした作品を数多く鑑賞することで、往時の人々は自然界のバランスを学び、取り合わせや配色のセンスを磨いていたのだろう。現代の画家が学ぶべきものも必ずあるはずである。

 以上のほかにも「みやぎの美術―明治から現代まで」(宮城県美術館)、「仙台開府四百年記念特別展・仙台城―しろ・まち・ひと」「世界遺産・醍醐寺展」「競う!江戸時代のスポーツ」「おもしろ収蔵品展」(以上、仙台市博物館)、「はるかなみちのく―古典文学と美術に見る姿」(東北歴史博物館)など充実した展観がつづいた。美術館をめぐる環境は厳しく、各館とも真剣な対応を迫られているなかで、館蔵品をつかってどれだけ新しい切り口が見せられるか、学芸員の知恵が試されている。

 なお、濱田直嗣氏が仙台市博物館在職中の研究成果をまとめ、仙台開府四百年と自身の還暦を記念して『東北の原像―美と風土と人の文化誌』を上梓された。「当時の仙台人は、まず自分の文化を踏まえて、中央を見るという気概があった。古美術に込められた当時の人たちの思いを知ってほしい。」と語る氏の思いに心から共感を覚える。

 

人間らしく

 戦争のない国で絵を描くことができる自分たちがいる一方で、人間として扱われず、明日の命も保証されない境遇の人間がいるという現実を忘れないこと―「心の痛みや喜びがもっと絵に出てくる」とは、「人の心を打つような良い絵」とは、つまるところ人間らしくありたいという心の底からの叫びにほかならないと思う。

 

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この文章は、2002年4月に発行された『宮城県芸術年鑑 平成13年度』(宮城県環境生活部 生活・文化課)に掲載された「各ジャンルの動向・日本画」を、ブログ掲載にあたり一部書き換えたものです。