ものろぐ「J-ART」 美術と人間/美術と社会

「日本美術史」を大学や街の講座で語りつつ、多少は自分の仕事の痕跡を残そうとして建てた「物置」のようなもの。

2011年 宮城県日本画のうごき

                              井上 研一郎

 

 東日本大震災についての具体的な叙述は最小限に留めて、2011年の県内日本画の動きを振り返ろう。

 震災は創作に携わる作家たちと作品を享受する鑑賞者たちの生命と生活を脅かした。絵を描くどころの騒ぎではなく、絵を見る心の余裕などどこにもなかった。

 また、震災は展示施設の存在と機能を奪った。多くの美術館やギャラリーは活動休止を余儀なくされ、そのうちのいくつかはいまだに再開の目途が立っていない。

 なかでも、河北美術展の開催が中止されたことは大きな出来事であった。1933年に始まった同展は、38年、39年、40年および45年に中止となったのち、戦後は一度も中止されることなく開催されてきたが、巨大地震と大津波がその流れを断ち切ったのである。

 そのような状況の下で二人の女性作家が相次いで作品展の開催にこぎ着けた。

「及川茂 聡子 父娘展」(4月26日~5月29日・しばたの郷土館)3月に彫刻家の父との二人展を予定していた及川聡子は自宅が被災し、展覧会はひと月遅れの開催となった。筆者は残念ながら見逃した。

「大泉佐代子日本画展」(5月21日~7月12日・大衡村ふるさと美術館)院展出品作をはじめとする20点余が展示された。日本画を始めたのは結婚して仙台に来てからで、はじめ高倉勝子、ついで畑井美枝子らの指導を受け、いまは院展の松本哲夫に師事しながら、人物像を主なモチーフとして制作を続けている。緻密な描法と落ち着いた色調によって精神性の強い静謐な画面を作り出している。

 開催の直前に震災があり、展覧会の開催をあきらめかけていたところ、美術館から予定どおり開催の意向が伝えられた。自身も「こんな時こそ、前へ向いて歩かなければと思い、生きるという意味を考えながら一歩踏み出す事とし」たという。(大泉佐代子「企画展に寄せて」)

 大泉は、さらに秋の院展の出品作《残されたもの》で、大胆に震災と正面から向き合う。これまで人物の背景として控えめに描いてきた風景を画面一杯に描いた。散在する破れ障子のようなビルの残骸とその間の地面を埋め尽くした瓦礫─被災地そのものの光景。そして、手前の高台に横顔を見せて佇む二人の女性を描く。「描かずにいられなかった」と語る大泉にとって、また見る者にとっても、そこに万を超える犠牲者への哀悼と鎮魂の祈りが込められていることは明白だろう。題名のとおり、残されたものたちは、この光景をしっかりと眼に焼き付けて、この現実をのりこえていかねばならないのである。

 大泉はこの回顧展のほか、11月にも小品を中心とした個展を開催した。(「大泉佐代子日本画展」11月1日~6日・晩翠画廊)

 

 河北展が中止された中で、秋の芸術祭絵画展は、今年唯一の大規模な展観となった。

「第四十八回宮城県芸術祭絵画展」(9月30日~10月12日・せんだいメディアテーク)

◎宮城県芸術祭賞

小野寺君代《静宴》実を付けた晩秋の野草を画面一杯に丹念に描く。雑然とした配置を黒の背景が引き締めている。 地味だが豊かな自然の実りを情感を込めて表している。

◎宮城県知事賞

吉田輝《野分》咲き乱れるヒガンバナをこれも画面一杯に描く。茎がすべて右に傾いて画面に動きを与えているが、暗赤色の背景によって重厚な安定感を生んでいる。

◎仙台市長賞

橋本道代《一掬の桜》桜の大樹の根元にいる二人の若い女性。一人は膝を崩して座り、両手にでの花びらをすくい取り、もう一人は傍らに立ってそれをのぞき込む。

「一掬」という水を思わせるこの言葉を桜の花びらに用いたタイトルが、本作の意図を端的に示している。

◎河北新報社賞

阿部志宇《お絵描き》絵筆を持って一心不乱に色を塗る男の子の姿を、周囲を広くぼかして幻想風に描く。口を結び、眉間にしわを寄せたような大人びた表情が、かえって作者のモデルへの思いを伝えている。周囲のぼかしは、子どもを見守り、包み込む大人の愛情のベールか。

◎(財)カメイ社会教育振興財団賞

新藤圭一《錦に染めて》森の中、大樹に挟まれた僅かな空間を俯瞰的に描く。地面は黄色く色づいた落葉で埋め尽くされ、そこだけ光り輝くように見える。丹念な筆致で空間意識も感じられるが、散らばる数個のドングリがわざとらしく見えるのが惜しい。

◎宮城県教育委員会教育長新人賞

富樫清子《風韻》地面近く垂れ下がる枝垂れ柳の枝を描く。アスファルト色の地面は雨に濡れているように見える。葉の一部を紫や薄紅色にしたり、白っぽい煙のようなものを描き込んだり、枝の先を地面(水面か)に触れさせるなど随所に工夫を凝らしているが、策に溺れない注意が必要だろう。

○賞候補

菅井粂子《こころの故郷》緑を主調とした縦長の画面に作者独特の細かい線描で樹木の枝と無数の花を描く。作者はときおり画中にメッセージ性のある文字や記号を描き込むことがあるが、本作でも左上に音符が踊っている。

○賞候補

千田卓内《母になる日》室内のソファに腰掛ける身重の女性を落ち着いた色調で描く。やがて生まれ来る生命に希望を託そうとするかのように、母親は両手で自らの腹をそっと抱え、黙想する。その姿は、仏像を思わせる気高さがある。

 予想どおり、震災の記憶を画面に留めようとする試みが少なからず見られた。さすがに直接にあの惨事をそのまま再現したものはほとんどなく、

 

象徴的な方法で追憶や鎮魂の意を込めたと思われる作品が多かった。安住小百合《希う》、三浦孝《あの日》、芳賀天津《泪を拭って》など人物像で祈りのイメージを表したもの、佐藤勝昭《陽だまり》、三浦長悦《震》など瓦礫や樹塊などを象徴的に描いたものなど、それぞれに重い主題と取り組んだ跡が窺われる。直接的な再現を試みた作品もいくつかあり、作者の思いは理解できるが、どれも生硬な表現にとどまっていた。この未曾有の歴史的事象に本格的に取り組んだ作品が現れるのはまだ先のことのように思われる。

 会場全体の印象を作風に関して言えば、総じて画面一杯に細かいモチーフを描いた平面的な画面が目立ち、余白を生かした構図や広大な空間性を感じさせる作品は少ない。装飾性を本質的な特徴とする日本画ではあるが、工芸的に描き込むことだけでは不十分だろう。

 その他の展観の概略を記す。

「桑原武史日本画展」(9月20日~25日・晩翠画廊) 山形、仙台、東京を拠点として制作している作者による三都市巡回展。堅実な技法で静謐な画面を創り出すいっぽう、動物などのリアルなモチーフを画面上で再構成する新しい表現を追求するという幅の広い創作態度を評価したい。

佐藤朱希《秋の野草曲》が、第43回日展(10月28日~12月4日 東京・国立新美術館)で特選となった。授賞理由にあるように「作者は自然と人物とが一体となった世界に長年の間取り組んでおり」母子像を中心に象徴的な人物像を描き続けている。今回の作品もその系列上にあるが、母親の身体を斜めに配して、これまでの安定した構図から動きのある構成へ脱却しようとする意図が感じられる。柔らかな色彩と強い装飾性に加えて躍動感が加わり、母と子の関係にも自ずと変化が生まれてくることを期待したい。

「能島和明日本画展」(11月15日~21日・仙台三越アートギャラリー)「能島和明日本画展─鎮魂の祈りを込めて」(11月22日~27日・栗原文化会館)

「光芒の昭和─芸術祭賞25年─昭和39年~63年」(2月1日~3月13日・カメイ記念展示館) カメイ記念展示館が県芸術協会との共同企画で、県内美術を芸術祭賞受賞者の作品で回顧したもの。全作品23点のうち、日本画は次の8点が並んだ。

佐藤朱希《ひろ野》1987年、七宮牧子《おひるね》1987年、安住英之《赭》1979年、能島和明《手》1966年、安住順子《ルイのいる'87》1987年、安住小百合《会話》1979年、川村妙子《如月》1986年、佐藤勝昭《船影》1973年。

現在とほとんど変わらぬ作風の作家もあれば、別人かと思える変化を見せる作家もあり、とくに能島和明と佐藤朱希の作品は興味深かった。

山口裕子日本画展「花のかたち」(12月16日~25日・ギャラリー専)

 

 最後に県内の公立美術館、博物館が震災の被害を乗り越えて意欲的な企画展を開催していることに敬意を表したい。同時に、甚大な損害を被り再開の目途が立たない石巻文化センター、修築費用に十分な補助が受けられず休館を余儀なくされている共生福祉会福島

 

美術館などの館が、一日も早く活動を再開することを切望する。