ものろぐ「J-ART」 美術と人間/美術と社会

「日本美術史」を大学や街の講座で語りつつ、多少は自分の仕事の痕跡を残そうとして建てた「物置」のようなもの。

2007年 宮城県日本画のうごき

                              井上 研一郎

 

 2007年の宮城県日本画界にとって特筆すべき出来事は、飯川竹彦のドイツでの作品展と、能島和明の大規模な回顧展であろう。

 「絹に描く日本画―飯川竹彦の世界」(四月四日~五月二十八日)は、ドイツ・ドレスデン国立民族学博物館(日本宮殿内)で開かれ、絹本を中心に屏風、画軸など三十二点が展示された

 飯川は、第五十六回河北美術展(1992年)で河北賞を受賞した後は同展を離れて独自の活動を展開しつつ、シルク和紙の普及に努めている。伝統的な技法を現代に活かそうとする彼の姿勢は、ドイツ人たちにも共感を与えたようだ。会期中、飯川はシルク和紙の開発を担当した若尾昇氏とともにドレスデン芸術大学の学生らを対象とする日本画ワークショップを開催、帰国後に受講生たちの作品を県内で巡回展示した。

 筆者は、ドレスデンでの開会式に参列して挨拶する機会を与えられたが、日本画の特質をヨーロッパ人に理解できるように語ることの難しさをあらためて痛感した。しかし、彼らは真摯に飯川の作品を理解しようと努力した。開会式に続く内覧会では同館の学芸員が一時間にわたって飯川の作品を解説したほか、会期中は地元紙が三回にわたって特集記事を掲載した。

 

 能島和明の回顧展(六月二日~六月十日・栗原文化会館)が開かれ、十代から現在までの主な作品約七十点が並んだ。

 東京生まれの能島は、青年期までを宮城県の築館で過ごした。モダンな感覚で静物や人物に取り組んだ初期作品から、能に取材した一連の大作、家族をモデルにした宗教性ただよう人物像まで、次第に東北の風土に根ざしたモチーフを見出していく過程がよく解る。

 初期のビュッフェを思わせる線描の作品や明るい抽象風の画面から、次第に深い色調の油彩画と見まごう厚塗りの画面へと向かう流れは、そのまま日展を中心とした戦後日本画の変遷をたどっているようで興味深かった。

 現在の河北展を見ていると能島の影響の強さが分かる気がするが、能島本人は師である奥田元宋に学びながらも、おそらくその影響と格闘しつつ自らの作風を模索してきたのである。それが実を結んだからこそ、こうしていま自らの画業を振り返る自信が生まれたのだろう。

 

 第71回河北美術展(四月二十七日~五月九日・藤崎本館)の入賞作と印象に残ったいくつかの作品を紹介するが、今年の入選作はなぜかどれも色調が暗い。審査員の那波多目功一は「重厚で落ち着いた色調」と評価し、福田千惠も「空気感や色彩が似た作品が多かった」と述べている。それが那波多目の言う「東北の風土や地域性」あるいは福田が「土地柄なのか」と考えるようなものかどうかは疑問だ。なぜなら、昨年は必ずしもそうではなかったからである。

○河北賞 福田喜美子《過ぎたコト》

 画面一杯に薄汚れた壁を、下半部に金網の塀をリアルに表し、その前に横向きに立ってうつむく若い男の姿を描く。今回の会場では金網や格子の表現にこだわりを見せた作品が目立ったが、この作者は絵の具を盛り上げて「リアルな質感に挑戦」(作者談)している。そのことの当否よりも、筆者には画面の外を向いて佇む少年の姿に何を託そうとしているのか、気になった。

○宮城県知事賞 佐々木宏美《わたしは駝鳥・飛べない鳥》

 不自然なほど強調されたダチョウの姿を画面一杯に、その脚と胴体に絡まる金網を象徴的に描く。前年の県芸術祭展出品作に比べて画面が整理され、素描風の女性が描き加えられて題意が強調された。金網に脚を取られずとも元来ダチョウは飛べないもの。歩くことさえも、という意味にしても、金網にこだわりすぎた感がある。

○一力次郎賞 針生卓治《永劫の宙》

 作者は前年もゾウをモチーフとした作品で新人奨励賞を受賞したが、今回は煩雑だった画面を整理し、動きを加えた構図となった。題にふさわしいスケールの大きさを感じさせる。

○東北放送賞 後藤繁夫《待春》

 雪深いブナ林の朝の景だろうか。近景の太い幹と後景の細い枝との対比が画面に奥行きを与える。モノクロームに近い画面の中で控えめなピンクの空が題意を雄弁に語っている。

○宮城県芸術協会賞 三浦長悦《悠》

 イチョウの巨木を画面一杯にとらえ、複雑に入り組んだ太い枝や気根の間から伸びる無数の若い枝を描く。地味な色調の中で若い枝の明るい色が生きている。

○新人奨励賞 一條好江《薨虫(こうむ)》

 横長の画面に豊満な裸婦のデフォルメされた姿が横たわり、虫や花などの細かいモチーフが装飾的に前面を覆う、幻想的な作品。土偶を思わせる裸婦の圧倒的な量感と繊細な花や虫の対比が生命の神秘を感じさせる。

○東北電力賞 吉田輝《秋のマリオネット》

 紐につるされた赤い唐辛子の束を、金箔に薄墨を掃いた画面に描く。唐辛子の実のリズミカルな形と沈んだ金地に浮かぶ鮮やかな朱が躍動感を生んでいる。それを操り人形(マリオネット)に見立てた題の付け方も楽しい。

 賞候補となった作品から目についたものをあげておく。池田真理子《はるをまつ》は、今回の会場で目立った金網や格子を描いた作品の一つ。動物園の檻の中で目を閉じてうずくまる雌鹿を描く。檻の格子を直接描かず、影だけで表してその存在と同時に春先の柔らかな日ざしを感じさせる手法である。田中ふく子《春の約束》は春の嵐(?)に弄ばれる針葉樹の芽吹きを躍動的に表現している。新芽の色がやや浮いているが、着想を評価したい。

成田昭夫《解体を待つ廃船》は重厚な作風で風景を描き続けている作者だけに、廃船がまるで巨大な岩山のような量感をもって表されている。

 その他の作品では、阿部悦子《春蚕(はるご)》 が相変わらず謎めいた題を手堅い手法でまとめ、及川聡子《来》も同様にミクロの世界を宇宙的な視野に収め、大泉具子《秋声》は秋の草花の束を逆さに吊したように描いて独自の季節表現を追求し、奥山和子《嫁ぐ日》はウエディングドレス姿で正座して挙式を待つ花嫁の緊張した様子を俯瞰的な構図で見事に表した。

 

 河北展に多くの字数を費やしてしまった。以下の展観については概要の紹介にとどめる。

 第四十四回宮城県芸術祭絵画展(十月五日~十七日・せんだいメディアテーク)には、日本画六十八点が出品された。宮城県芸術祭賞の佐々木啓子《群雄》は、江戸時代の伊藤若冲を思わせる力作。宮城県知事賞の及川聡子《冴》は、写実を踏まえつつ計算された造形性が光る。仙台市長賞は菅井粂子《平和の祈り》。ハスの咲き乱れる池に幼い二人の少女の顔を刻んだ墓碑が浮かぶ、メッセージ性の強い作品。河北新報社賞の遠州千秋《作品》は、おぼろげな人物像以外に具体的なモチーフを持たない、遠い記憶の中の情景か。成瀬記念美術館賞の安藤瑠吏子《視る》は床に片手をついてくつろぐ女性の堂々とした姿を描く。宮城県教育委員会教育長新人賞は梅森さえ子《予感》が受賞。時計、靴、バラといった小道具が散在する画面は、やや説明的な感があるが楽しめる。

 ところで、梅森は同じ賞を昨年も受けているが、いいのだろうか。他の賞ならともかく、新人賞を同じ作家が二度受賞するとは、何とも不思議な現象である。

 賞候補作では高瀬滋子《待つ》が昨年のショッキングな画面とは打って変わったほほえましいキッチン風景を見せてくれた。

 総じて、会場は安定した力量の作品が並んでいるが、やや変化に乏しい。以前「粒ぞろい」と書いた覚えがあるが、それは河北展との比較での評価であって、会員にとって作品の質の向上と作風の深化は永遠の課題であるはずだ。新聞評にあるように、県芸術協会員のみによる出品という本展の規定を再考する時期に来ているのかもしれない。指定席に安住する限り、会員の高齢化と沈滞は相乗的に進行するだろう。

 

 美術館の企画としては。宮城県美術館の「日展百年」は、日本の近代美術の歴史を語る好企画であった。

 個展では、「悠久の光彩・櫻田勝子日本画展」が大衡村ふるさと美術館で開かれ、《彩(いろどり)の季(とき)》など十六点が展示された。(~七月二十五日)

 最後に、仙台市内で日本画を含む個展や企画展を開催してきた晩翠画廊が十周年記念展を開催したことも記録に留めておきたい。天笠慶子、大泉佐代子、小野恬、金沢光策、桑原武史、櫻田勝子、宮沢早苗といった作家の作品をまとめて見ることができたのはこの画廊のおかげであった。