ものろぐ「J-ART」 美術と人間/美術と社会

「日本美術史」を大学や街の講座で語りつつ、多少は自分の仕事の痕跡を残そうとして建てた「物置」のようなもの。

2002年 宮城県日本画のうごき

                             井上 研一郎

 

 「日本画」という「ジャンル」が本当に意味を持つのか、今年も悩みながらの執筆である。本号では「二十一世紀を拓く」と題して特集が組まれることになり、従来の「ジャンル」区分に従って「日本画」がトップバッターになった。この問題については、多少とも具体的な発言の機会を与えられたので、議論はその拙稿に譲り、本稿ではこの一年間の県関係「日本画」の動向のみを羅列するにとどめることとする。 

 とはいえ、二〇〇二年には全国レベルの「日本画」にとってひとつの大きな出来事があったことを指摘しておかなくてはならない。「東山魁夷記念・日経日本画大賞」の創設である。日本画の登竜門と言われた山種美術館賞が一九九七年に廃止されて以来、五年ぶりに設定された制度だが、十一月に第一回受賞者が決まった。全国の美術館学芸員、評論家らによって四十二作家の作品四十七点が推薦され、そのうちから内田あぐりと浅野均の二人が選ばれた。一次選考を突破したのはわずか十四点で、本県関係者は残念ながら選に漏れた。このことについては、本号特集の拙稿で詳しく触れている。 

 例年の全国規模公募展では、第34回日展に天笠慶子、佐藤朱希、七宮牧子の三名が入選した。天笠、七宮の両氏は初入選である。また本県出身の能島千明は《追憶》で特選となり、審査委員を務めた能島和明は栗駒山中の生活を題材にした《山の人》を出品した。、また、第87回再興院展では佐々木啓子が院友に推挙された。

 こうした作家の活躍をのぞけば、本県関係「日本画家」の仕事は必ずしも全国レベルに達しているとは言い難い。「東京・関西画」とでも呼びたくなるような「日本画」の現状を少しずつでも変えていく動きは、どこから生まれてくるだろうか。 

 県内の動きに入ろう。

 「第39回宮城 県芸術祭絵画展」(2002/9/27~10/9・せんだいメディアテーク)は、日本画部門に五十六点が出品され、次の各氏が受賞した。

 宮城 県芸術祭賞 《街道沿いのまち》 高瀬 滋子

宮城 県知事賞 《Eternal Season 3 》 佐々木 啓子

仙台市長賞 《花 02-13》 三浦 ひろみ

河北新報社賞 《男(生きる)》 安藤 瑠吏子

宮城 県美術館賞 《初夏》 熊谷 理恵子

鳴瀬美術記念館賞 《大地のように》 毛利 洋子 

 安藤瑠吏子《男(生きる)》は、正面と背面を向いた男性像を二点対で描いた。一対のイメージによって表現する手法は古くから日本の絵画表現に用いられてきたものである。熊谷理恵子《初夏》は、黒田清輝の《智・感・情》を思わせる理知的な構成の中に、衣をつまむ手など情感を誘う表現が共存していた。佐々木啓子《Eternal Season 3 》は水草の間を泳ぐ鯉を描き、色調を押さえた画面と水草の表現が見事であった。高瀬滋子の《街道沿いのまち》は、緩やかな弧を描く道路の両側に商店街の家並みを展開図のように描くという大胆な構図に挑戦した。円山応挙が淀川の両岸をこの手法で描いたことはよく知られている。三浦ひろみ《花 02-13》の墨による細密な表現は、日本絵画において白描画の伝統が健在であることを示している。毛利洋子《大地のように》の倒木に生えた苗木を描くという発想は面白い(あるいは実景かもしれない)が、構図にいまひとつ工夫が欲しい。その他、七宮牧子《三つのかたち》は人物三人を描く力作であり、吉田三千子、宮澤早苗、松根睦子、千葉勇作、深村宝丘、福田眞津子らの作品が印象に残った。 

 「みやぎ秀作美術展2002」(2002/11/22~12/3・せんだいメディアテーク)は二〇〇一年に発表された作品を中心に構成されるため前号で触れたものが多いので詳しく触れないが、小野恬の《惜春》(第86回院展入選作)、佐々木啓子の《秋仕舞》(同)、三浦長悦《翁樹》(同)、山田伸《真夏の夜の夢》佐藤朱希《陽色のワルツ》(第33回日展入選作)、能島和明《しじま》(同)、能島千明《風車》(同)といった中央展での入選作が見られたことは県民にとっては収穫だったといえよう。 

 東北全域を対象とする公募展「第66回河北美術展」(2002/4/26~5/8・藤崎本館)の日本画部門では、土屋禮一(日展)、松尾敏男(院展)を審査員に迎え、次の各氏が受賞した。

 河北賞 《騒がしい朝》 高瀬 滋子

文部科学大臣奨励賞 《家路》 澤瀬 きよ子

宮城県知事賞 《秋の終わり》 渡辺 房枝

一力次郎賞 《ふたり》 安藤 瑠吏子

東北放送賞 《庭の花たち》 伊東 忠夫

宮城県芸協賞 《一流》 阿部 悦子

新人奨励賞 《茂る》 長谷川 さやか

東北電力賞 《岩館港の廃船》 成田 昭夫 

 「騒がしい朝」とは、作者本人によれば「慌ただしい朝にウサギがかごから脱走する、という光景」とのことだが、思い切った俯瞰的構図と明るい色調で表された画面は《信貴山縁起絵巻》の冒頭場面にも似た軽妙な味がある。自由な視点による天衣無縫な形体は見る者の心を和ませる。 

 グループ展では「第6回実生会小品展」(2002/4/19~4/24・せんだいメディアテーク)今年は同会にとって小品展開催の年にあたるが、四十二名の会員のほとんどに加え、数名の元会員が出品した会場は作品展にせまるほどの充実した内容を持っていた。梅森さえ子、黒田文子、武田睦子はじめ多くの力作がみられた。このほか、 個人レベルでは、県内で二つの意義深い展観があった。どちらも仙台からやや離れた地での開催だったため、必ずしも多くの人々の目に触れられなかったのは残念だったが、期せずして両展とも近年まで本県で活躍した作家とその後継者の仕事が同時に紹介された。

 「千葉謙澄日本画展 天地悠々~みちのくからシルクロードへ」(2002/10/9~10/20・古川市民ギャラリー緒絶の館)一九八五年、六十五歳で急逝した千葉謙澄の遺作展が故郷の古川市で開かれ、日本画四十一点とパステル画六点が出品された。副題にあるように、東北の風景を題材としたもの、ヒマラヤ・ネパールに取材したものを中心としながら、日常の何気ない風景を丹念に形象化した作品もあり、静謐な画面には祈りにも似た作者の心境がうかがえた。四十歳を過ぎてから公募展入選を果たすという遅いスタートだったが、河北展や日展、日春展等で活躍しながら後進の育成にも努めた功績は大きい。「謙澄の愛弟子展」も同時開催され、千葉清澄、佐々木裕美子らの作品が並んだ。

 「能島康明コレクション 和明、瑠吏子作品展」(02/8/31~12/5・大衡村ふるさと美術館)二〇〇〇年に亡くなった能島康明と能島和明、安藤瑠吏子の父子三人の展覧会が開かれた。能島康明の作品は同館に寄贈された五点。どれも風景を正面からとらえ、堅固な構図と重厚な画肌が融合して独特の世界が描き出されている。和明、瑠吏子はともに人物を主題とした量感あふれる形体をたらし込みを多用した画面に表すが、和明の人物が自然の中に溶け込んで内面を見つめるいっぽう、瑠吏子の人体にはみなぎる想いをかろうじて押さえているような躍動感がある。両者とも「日本画」の画材による表現の可能性に挑戦する熱意が感じられた。会場のスペースの狭さもあるが、作品数が少なく、照明などもやや見づらい展示だったのが惜しまれる。

「大泉佐代子日本画展」(2002/11/19~11/24・晩翠画廊)春の院展入選作を中心に、堅実な手法と淡い色調で穏やかだが深い精神性を感じさせる作品が並べられた。

「飯川竹彦日本画展」(2002/1/18~24・藤崎美術工芸サロン)および「川村妙子個展・豪奢な朝」(2002/9/25~29/・県民ギャラリー)は残念ながら見逃したが、かつて仙台の作家たちの「プロ意識の欠如」を指摘した飯川の仕事には今後注目していきたい。

 日本美術院(院展)評議員の荘司福が十月十九日、九十二歳で亡くなった。長野県出身で女子美術学校卒業後、結婚を機に仙台に住み、河北美術展、さらに院展を舞台に精神性の強い硬質で重厚な画面を追求し続けた。その真摯な制作態度は県内の多くの作家に大きな影響を与え、「東北人以上に東北人らしく、自分のモチーフを一心に追究されていた」(宮城正俊)という。

 紙幅が尽きたので詳細は述べられないが、仙台市博物館が開催した「菊田伊洲展」は仙台四大画家のひとり伊州の作品に対する通念を一変させるほどの衝撃的な展観であった。狩野派の画家がこんな絵も描いていたのかという率直な驚きが会場内で多く聞かれた。今後も通説を転覆させるような大胆な発想と細心の準備による企画を期待したい。

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この文章は、『宮城県芸術年鑑 平成14年度』(2003年3月・宮城県環境生活部 生活・文化課)に掲載した原稿を、ブログ掲載にあたって一部書き換えたものです。